「海星」のプロフィール

はじめまして、マーケターの海星(かいせい)です。

ライティングとマーケティングについて発信しています。

ASPに勤務しながらアフィリエイトを学んだり、
5つ以上の法人メディア立ち上げに携わってきました。

今では、文章を教えたりやマーケティング支援を行っていますが、
理念は、お客さんの人生を変えるビジネスを作ること

かんたんに、過去の経歴をお話します。

最初は公務員で、次にWebライター、SE、Webディレクター、マーケターなど渡り歩いてきました。

元は趣味のブログ運営がきっかけで、Webライターに転職しました。
そこからSEO、SNS運営、編集、サイト分析、外注スキルなどを身につけて今に至ります。

今までの人生のダイジェストを伝えると、

  • ブログをやっているときに、ビジネスの世界を知る
  • 大金持ちに会うために東京から大阪へ旅行。1夜で15万を使い勉強する
  • 安定の公務員を退職(2年半で退職願を叩きつける)
  • ブログを実績にWebライターに転身
  • 年利益が1億切らない起業家に100万払ってコンサルを受ける
  • 自分のサービスを作ってファンに喜ばれる(わざわざ新潟から手作りマグカップを送ってもらう笑)
  • 副業5ヶ月目で月20万達成(→実働は月に20時間くらい。時給1万)
  • 外注化して延べ50名以上の方々と働いてコンテンツ作り

こんなかんじです。

今は色々スキルがあるので、1つの組織に依存することがないです。
自分で事業を回して稼げるから、いつでも転職できる。

新卒のときは、今の職がなくなったらどうしよう……と怯えていましたけど、
今はそんな心配は皆無。

かなり職業に自由が効く人生になりました。

というと、かなり順風満帆に聞こえますが、転職でブラック企業に入社したり、適応障害になって1年以上休職したり、色々ありました。

では今回は、海星がどんな人間で、どんな経験をしてきたかを語ります。

僕は1つの組織でずっと働くと思っていました。

しかし、結果は真逆の人生。ぜひ、こういう生き方もあるのかと楽しんでもらえたらと思います。

※ですます口調じゃないので、ご了承ください

ではどうぞ。

目次

勉強コンプレックスで公務員試験の勉強を始める

大学生のときの僕は、今ほど活力がなかった。

自分に自信がなく、友人も少なくて、大学では常にぼっち。常に金欠。
お昼は独りで吉野家に行き、牛丼を食べてました。

ガリガリで虚弱体質。ニキビは大量にできる。喘息もある。

スキルも魅力もお金も、何も持ち合わせていない。
そんなうだつの上がらない大学生。

唯一、仲の良い大学の友人がいた。
そいつは僕のステータスとは正反対。

英語が話せて、プログラミングで副業して、
有名企業にインターンまで行ってた。

正直、羨ましくて、自分と比較して劣等感を抱いた。

とくに、TOIECで600点だったのが、1ヶ月で800点までいくのをみて、
「ああ、脳の作りが違うんだ」と思った。

あるときそいつから、
「フィリピンの短期留学に行かないか」と持ちかけられた。

自分も英語に興味があった。
英語が話せるって、めっちゃかっけえ。と思っていたからだ。

正直、海外は怖いし、英語も全くわかららない。

でも、自分も何かしらの取り柄がほしい。

大学2年のとき、1ヶ月だけフィリピン留学することにした。

「海外の風に当たれば、ちょっとは自分も変われるだろう」と考えた。

しかし蓋を開けてみれば、本当にしょうもない時間を過ごしてしまった。

1ヶ月間、現地で知り合った日本人と話して、観光して、
ほぼ何もスキルを得られないまま帰国した。

留学前のTOEICは320点。帰国後は350点。上がった点数は、微差オブ微差。

これを聞いてわかるとおり、
当時、僕の脳みそは終わっていた。笑

ほぼ同時期に、ドットインストールとProgateでプログラミングも勉強していた。

これも何も定着しなかった。

英語とプログラミングは、無理だと悟った。

短期留学を終えて、あれよあれよという間に、大学3年生。
1年後には就活だが、ビジョンがない。

そこで、こんな風に思った。

「社会に出ても大した仕事はできない。だったら公務員になりたい」

そこから、何かにすがるように公務員試験の勉強を始めた。

公務員試験は、1年の勉強期間を要する。

数的推理、判断推理、経済学、社会学、法律、5教科など。
30科目くらいを同時に学ぶ。

僕の高校の偏差値は48で、指定校推薦だったから受験もしていない。

将来を変えたくて挑戦したけど、勉強の習慣がなくて、半年後にはうつ状態だった。

だけど今回は、予備校費(30万)と、なけなしの将来がかかっている。
毎朝5時に起きて、松岡修造のYouTubeを見て、泣きながら8時間以上勉強する。

このときは本当に地獄だと思った。

約10ヶ月の勉強期間を経て、いよいよ試験を受け、合否発表を待った。

結果、あっけなく落ちた。

この10ヶ月はなんだったんだ、と思った。

完全に人生終わった、、、と思ったが、
公務員は他の試験も受けることができる。

難易度が低い志望先を見つけ、
第4志望くらいのところで、なんとか受かることができた。

結果が実ったことで少し希望を持つことができたが、
やっぱり自分は頭が悪いなー、という思いは拭えなかった。

そして公務員に入職し、そこからほんとうの地獄が始まる。

意味のない仕事を続ける

「公務員の仕事は、楽で良いよ」

世間の人はこう言うだろうが、それは嘘だ。

本当に、本当にくだらない仕事を毎日やるのは辛い。

意味のないハンコ、手書きの書類、昼休みも止まない電話。そして、低い給料。

一番つらかったのが、プライドが高く、意味不明な価値観を押し付けてくる上司だ。

「若いうちは経験が大事」

とか言いながら、嫌な仕事を人に押し付けて、自分はお気楽に仕事している。

意味を感じられない仕事を続けるのが「楽」なのか?

入庁して1年しないうちに、気が滅入った。

仕事は何もやりがいを感じられない。

だったら、もう趣味に生きようと思った。
昔やっていたギターを引っ張り出し、やってみる。

最初はとても楽しかった。

でも、やれどやれど、憂鬱な月曜日はやってくる。趣味は、根本的な解決にならないのだ。

本業も趣味もダメ

現状を変えるには、趣味に逃げず、仕事を変えるしかないと思った。

とにかく、今の理不尽な仕事をやめたい。

周りの知人を見てみると、エンジニアで、フルリモートで働いている。

何なら、勤務時間中に、桃鉄をやっているのだという。

こっちは理不尽な地域対応してるのに、、、絶望した。

エンジニアの羨ましかった点は、フルリモートできること、毎日勉強できることだ。
意味不明な書類をキレイにつくれても、ハンコをキレイに押せても、役に立たない。

でも、ITを学べば、きっといろいろと役に立つだろう。

根本からして、今の仕事が合っていないと思った。

毎日、職場の敷地に入るたびに、「自分の居場所はここじゃない」と感じながら、2年半、過ごした。

ただ、この仕事で唯一よかったのは、時間があることだ。
定時で帰りやすい。
そして今思えば、資格取得などの勉強を強制されないのもよかった。

その時間を活用して、昔諦めたエンジニアの道を考えてみた。

情報収集を始め、20万払ってプログラミングスクールにも通った。

そしてプログラミングを学んでいると、ある技術系ブログを見つけた。
しばらくこの人のブログを参考にしようと思った。

尊敬する人が、尊敬している人

技術系ブログで日々、いろいろな刺激を受けた。

すると、ある人物が紹介されている記事が目に留まった。

その人物とは、ビジネス界隈で有名な起業家らしい。

「この起業家のビジネススキルは本物」という紹介だった。

じつはその技術系ブログの人も、いわゆる天才と呼ばれる人だ。
その人より頭の良い人間がいるのか?と半信半疑だった。

というか、その紹介されている起業家。

ビジネスとか怪しいことを言ってるけど、
今の時代プログラミングしか勝たんだろと思った。

最初は、軽く受け流した。

でも、なんとなく引っかかってるのが、
天才プログラマーが太鼓判を押した人物だということ。

興味本位で、その起業家とやらのブログを覗いてみた。

うーん、なんかよくわからないな。と思った。
でも、なんとなくいろいろな記事を読んでみる。

そこからしばらく経ち、

気づいたら、500記事あるブログのすべてを読破していた。
YouTubeも500本以上の動画が公開されているが、すべての動画を視聴していた。

聞けば聞くほど、その人の話のレベルが高いことに気づく。

なぜなら、どの話も自分に通ずるし、的を射ているからだ。

その起業家はこんなことを言っていた。

「プログラミングより、ビジネス学んだほうが稼げる。プログラミングはできる人に任せればいい」

と、バッサリとプログラミングを一刀両断した。

断言してしまえるというのが、痛快だった。

ビジネス、情報発信、マーケティング、コンテンツ。

このあたりの知識は、自分の人生、ひいては誰かの人生、世界を変える可能性がある。

プログラミングを学んでいたときを遥かに超えるワクワク感があった。

15万かけて大阪まで起業家に会いに行く

社会人2年目の12月。急遽、その起業家が大阪でセミナーを開催するという通知がきた。
僕はその起業家のメルマガを取っていた。

ぶっちゃけ、「明後日にやる」みたいなノリで、さすがに急すぎだろと思った。

参加費用は、10万。

じつに詐欺っぽい。いや詐欺か。セミナー1回にそんな値打ちがあるはずがない。
10万払っても、持ち逃げされて会場に来ないかもしれないじゃないか。

さすがに払えない。無理だよ、無理。やめよう。

一度は感情を押し殺して、鎮めた。

それでも、確かめたい。
そんなにすごいセミナーなのか?

この人は、本当に実在するのか?

そんな気持ちが捨て切れなかった。

そして、

「騙されるかもな。でも、まず何かしら信じてみないと始まらないか」

そう思って、セミナーに申し込んだ。本当に何度も迷ったし、勇気のいる経験だった。

僕がその通知を見たのが、セミナーの前日。
翌日大阪に行けば間に合うが、交通トラブルで行けなくなるのは避けたい。

だから、セミナー申し込みと同時に、大阪行の切符を買った
急いで身支度をし、東京から大阪に向かい、新幹線の中でホテルを予約して、
1泊3,000円の激安ホテルに前泊することにした。

当時の僕は、若さゆえのバカさがあった。

翌日、昼過ぎにセミナーにいくと、2つの事実が確認できた。

まず、その起業家が実在すること。これは芸能人に会う感覚に近い。

2つ目に、現実に億単位で稼いでいること。

実際にビジネスモデルを赤裸々に聞かせてもらい、
素人でも「ああこれは1億行くな」と思った(もちろん聞かないと思いつけない)。

というか、そのセミナーには、15名程度が来ていたから、その時点で利益150万なのだ。

質問にも的確に答え、知識量、世界の広さを知ることになる。

この体験ができるなら、確かに10万でも、まあ高いんだけど、安い。

億万長者の世界なんて、夢物語だと思っていた世界が本当にあった。
ビジネスを作るのは、たしかに方法がわかれば、やるだけだなという気がした。

その後、とにかく情報発信ビジネスを勉強した。

ブログ、YouTube、メルマガなど、なんでもかんでもアウトプットしまくった。

とくにYouTubeなんてのは、撮ったことがない。しゃべれない。言葉が出てこない。

でも、ビジネスをやるうちに、だんだんマインドが上昇志向に変わってきて、
「何回もやれば、いつかできる」という気になっていった。

実際に、何本か動画を撮ったら、結構しゃべりにも慣れてきて、
ビジネスの話もできるようになった。

と同時に、今の仕事との価値観の違いに悩まされる。

古い凝り固まった、電話と紙とハンコを使う20年遅れの価値観。
ビジネスで成長していこうという新進気鋭な価値観。

この感情に板挟みになり、ついには、現職への不信感が爆発する。

理不尽な価値観を押し付けてネチネチ言ってくる上司にめちゃくちゃキレて、
半沢直樹みたいなことをしてしまう。笑

「その感情が伝染してこっちまでネガティブになるからやめろ!」みたいな。
何かが遅れただけで、さも人がしぬくらいのオーラで言ってくるから、ついにたまらなくなった。

その後も仕事続けたが、やはり価値観に合わない環境で耐えていても、
成長に繋がらないと思った。

結局、知識の巨人に会った8ヶ月後に、後先決めずに、退職をした。

退職後の世界で、挫折

景気よく退職したのは良いが、
100万くらいあった貯金は、半年経たずに消えた。

そして、この事実は僕の脳に刻み込まれたのだが、

お金がないと、まじで気力がなくなる。

やる気があっても、お金がないと、やりたいことが何らかの形で阻まれる。

だから、やはり働きながら副業が正解だった。

退職後、そのまま起業して成功というのが本望だったが、改めて就活を始める。

ただ、退職前からコツコツ情報発信を勉強していたことで、
就活はあっさり終わる。

とくにブログに力を入れていたことが功を奏し、
ブログの実績を買ってくれた企業で内定が決まる。

ビジネス界の人に言えば「まじで?」となるような、箔が付く会社だ。

そんな会社だから優秀な人が多かったのか、
2名の先輩からSEO、Webライティング、サイト分析などを学べた。

そして、公務員をやめ、精神的に無敵状態な僕は、
とある起業家YouTuberに100万払ってコンサルを受けた。

(ちなみに僕は手取り19万前後のサラリーマンで、貯金は常に0だった)

そこで自分のビジネスを作ったり、仕組み化について覚えた。

とにかく、このときは行動をしまくった。

そのせいで、どんどんお金に困窮していく。
正直、100万のコンサルを払ってお金がしんどかった。

先程書いたように、金欠は気力を奪う。

まともな給料を確保するため、転職を決意した。

ここで、大学のときからひそかに憧れていた、エンジニアを目指してみた。

結果、未経験でもエンジニアになれる企業に内定をもらった。
ちなみに転職理由は、
給料が上がること、フルリモートができること(副業やりやすい)の2点。

一見、よさそうに見える条件だが、これが最大のミス。欲張りすぎた。

ブラック企業に入社して、鬱になる

SEになれば、フルリモートだし、スキルもつくし、給料も上がるし、もう安泰だろうと思った。
最悪、起業がだめでもITスキルがある。潰しが効くだろう。

しかし、現実は違った。
理由は、典型的なブラック企業に入ってしまったからだ。

  • 半年間は研修(ほとんど放置。よくわからない書類を作らされる)
  • 毎晩23時に平気で仕事のLINEが飛んでくる
  • 週ごと、月ごとに意味わからないレポートを書かされて、理不尽な添削を受ける
  • 定時後にLINEでの細かい業務報告。いわゆるマイクロマネジメント
  • 飲み会は強制。タバコがやばくて、2回目は断るもLINEで「それは失礼だ」と強く叱責される
  • LINEで飲み会を断ったことをずっとLINEし続けてくる。業務が手につかない
  • 研修が終わり、現場に配属が決まるも、業務量とパワハラに耐えきれない

挙句の果てに、ホームで線路に吸い込まれそうな感覚に陥る。
ホームが真っ逆さまになって、落ちるような感覚。

もう無理だと思い、精神科を受診。
「不安抑うつ状態」と診断され、わずか1年で退職することになった。

職場ですごく嫌だったのが、善人と悪人が極端だったこと。

悪い人間は、言葉はキツいし、LINEでネチネチ言ってくる。
しかし、自分の配属先の上司は本当に人間ができた人だった。

最後まで、「自分を攻めなくていいし、気にする必要はない」と言ってくれた。
それが余計に、退職という事実を虚しくした。

ここから1年3ヶ月、傷病手当金を受給して、療養期間となった。

正直に言うと、
ブラック企業で病んでいたのは、退職後3〜4ヶ月くらいだ。

その後も療養期間が長かったのは、ブラック企業のせいではなく

「社会に必要とされていない自分」になってしまったからだ。

何もせず生活費が入ってくる。

ただ、社会から必要とされず、社会から外れた生活をすることほど辛いことはなかった。

いま目の前で歩いている人たちは、
誰も自分を必要としない。この世界は誰も自分に興味がないと思ってしまった。

そんなことを1年近く考えてた。何をやってんだろうね、当時の自分は。

しかし、傷病手当金の受給は、最大でも1年半だ。そろそろ受給期間が終わってしまう。

このまま社会復帰できるのか……
会話すらままならない気がしたし、喘息は悪化しているし、めちゃくちゃ不安だった。

社会復帰をさせてくれたのは、勉強した知識だった

それを救ったのは、紛れもなくビジネスで得た知識だった。

情報発信ビジネスをやるには、相応の心構え(マインド)が必要だ。

受給期間が終わりに近づくと、ほんとうに少しずつだが、昔学んだことを思い出していった。

こういうときには、どういう思考をすればいいのか。どんなやり方が自分を救うのか。

リハビリとして、今まで取ったノートや、いろいろな人のブログや、コンサル内容を復習した。

そして気づくのだが、
やっぱり、何もしていないときより、何かをしているときのほうが。
気持ちが前向きになる。

「いつかできるようになる」という、気楽なマインドを思い出せた。
改めて、昔感じていた、ビジネスの世界のワクワク感が蘇ってきた。

ITは、だめだった。

でもビジネスの世界だったら、自分の居場所を見つけられるかもしれない。

その後、カフェに毎日通って勉強した。

そこから、カフェの店員に話しかけられて、
すごく仲良くなって、少しずつ人とのコミュニケーションに慣れた。

そして、民間企業で面接を受け始める。

面接の場面でも、情報発信ビジネスの話が役に立った。

自分が今までやってきたビジネス経験を語ると、すぐに内定をゲットすることができた。

民間企業に勤めながら、情報発信をする

1年以上のニート生活に幕を閉じ、
久しぶりに会社で働くことになった。

まず言いたいのが、

久しぶりに人から必要とされたのが嬉しかった。

自分が学んだビジネスの知識を、心から必要としてくれる。

仕事を全力でがんばった。

自分のなかでは常識的な話が、会社のなかではめちゃくちゃ重宝される。

会社の部長クラスの人にまで僕の活躍は届き、
社長もいる経営企画の会議では、「海星はめちゃくちゃ優秀」ということで噂が立つ。

その後も、Webサイト立ち上げに携わる。楽しい。マーケティングもできる。なんて良い世界なんだ。

最高潮に、ビジネスが、働くことが楽しいと思えた。

思えば、英語、プログラミングと欲張らず、情報発信ビジネス1本だけでよかったのかもしれない。

職業の自由を手に入れて

今保有しているスキル。

ライティング、コピーライティング、マーケティング、仕組み化(外注化含む)、SEO、サイト分析、アフィリエイト…

マーケティングに含められるスキルもあるが、あえて分けてみた。

こういったスキルを手に入れた今では、職業の自由を手に入れた。

稼ぎたいときに稼げる。副業をそのまま本業にできる。
もちろん、いつでも企業に戻れる。

副業では、青天井で稼げる。

そして、仕事をするなかで、自分を尊敬してくれる人や、慕ってくれる仲間ができた。

仕組み化やマーケティング、コンテンツの作り方、ライティング指導など行える。

昔は、スキルもない、無気力人間。

今では、たくさんのスキルを抱えて、
次は何をやろうかな。

と、希望にあふれる日々を送っている。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

いまの活動理念は、誰かにビジネスを学んでもらって、明るい人生を歩んでもらうこと。

明るいってのは、自分の人生に、希望や納得感をもってもらうことです。

今の生活の不満を「仕方ない」で終わらせるんじゃなくて、
「本当は叶えたい生活」を送れるようにしてほしいと思っています。

まあ、上で書いた通り、僕はポンコツです笑

でも、ポンコツだったからこそ、「自分でもできるんだから、大丈夫」と自信を持って言えます。

僕が学んできたことを伝えることで、
努力ができる人は理想の生活に近づくはずです。

そして自由にお金を稼げるようになって、
毎日海外旅行に行けるようになって、乾杯できるような仲間がほしいです。

上記で語ったのは、僕のハナシのほんとごく一部。

さらにLINEでは面白いエピソードを語っているので、ぜひ登録してみてください。

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はじめまして、物書きの海星です。

ちょろっと自己紹介します。

新卒で事務員になりましたが、仕事から逃げたくて、2年半で退職しました。

趣味でブログを書いていた経験を活かしてフルリモートのWebライターや編集者を経験したりしました。

自分のビジネスも始めて、趣味の音楽で月に20万円を稼ぐことができました。実働は20時間とかそこらです。

「自分は何でもできるんや!俺TUEEE」と調子に乗ってシステムエンジニアに転職した矢先、ブラックすぎて適応障害になりました。社会復帰に1年以上かかるという。

ただ、その後もなんとか復帰して、ライター、編集者、ディレクター、マーケターなどの仕事をこなしました。

結果、今は色々なスキルを獲得して、1つの組織に依存することはありません。会社をやめたいときにやめて、フリーになって、どこかに入りたくなったら入る。

職業においてかなり自由な生活を送っています。

こう言うと、すごいと言われますけど、嫌なことから逃げ続けた結果だと思っていますw

勉強さえすれば、誰でも実績は作ることができるので、その実績をもとに転職するなり起業するなりしたほうが、人生が思いもよらない方向に転がると思ってます。

1つの組織にいる努力も素晴らしいですが、僕はそれとは真逆の人生を送っています。

このブログを色々みてもらって、ぜひ刺激にしてもらえたら嬉しいです。

もっと詳しいプロフィールは下記より。

>>> 海星のどん底紀行。適応障害から今に至るまで

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