こんにちは、海星です。
最近はYouTubeやXなどで、簡単に成功者を見つけることができますね。
- 「チャンネル登録者数100万人!」
- 「1年で5,000万稼ぎました!」
- 「歌ってみたで1,000万再生!」
数えればキリがありません。
「すごいことが普通」な世界になってきました。
こういう大成功者を目の当たりにするデメリットは、「あ、自分はいいや^^;」になることだと思います。
早い話、やる気がなくなる。こんだけ成功している人間がいて、戦う意味ある?自分じゃなくてもいいやん、となりやすい。
僕も似たような覚えがあります。
僕はずっとピアノをやっていて、「絶対にピアノで有名になってやる!」という夢がありました。
ネットが登場したことによって、すんごい上手いピアニストを見ることができるようになりました。
「なんだこの人!すごい!自分もなりたい!」
中学生のときにこんな憧れを抱きました。
ところが、そこから10年、15年と経って、さらにネットが身近なものになって、ピアノが上手い人で溢れました。
昔はYouTubeで検索すると、ピアノが上手な人は数えるくらいでした。
しかし、今では数え切れません。
ピアノがもともと上手な人もいただろうし、それを見て上達した人もいるだろうけど、とにかく、凄腕ピアニストが大量生産されました。
そうなると、途端につまらなくなる感じがあります。「あれ、自分じゃなくてよくね?」みたいな。
まあ厳密には、僕はそこまでは冷めませんでしたけど、ツマンネーノ、みたいなのは感じました。
で、これが「自分はいいや」だと思うんですよね。
悟ったように一歩引いて、もがこうとせずに、「自分はもうリタイアしたから」みたいな顔をしてしまう。
僕は、何人たりともこういう風に考えてほしくないです。
どんどん挑戦してほしいし、ずっと続けてほしいです。
最近の若い世代(自分もまだ若いほうですけど)って、「そこそこでいいよね」って価値観がひろがっていると思います。
マイペースに、自分らしく。
その代償って、熱がなくなることだと思います。かといってキンキンに冷たいわけではない。生ぬるい温度。生ぬるいって、微妙だから、リアクションに困る。生ぬるい人は、見ていて、話していて、面白くない。
もちろん、日々を生きるので精一杯だ!という人もいて、それもよくわかる。
でも、本人が生ぬるさに納得してるならいいんだけど、どうやらそうでもないらしい。「妥協」とか「惰性」という言葉が出てくる。
うーん。
僕は、「自分でやること」には大きな価値があると思う。
周りの人がいくら成功していようが関係なくて、自分で体験するのは面白いよ。
ピアノも、むっちゃ楽しいもん。ちょっとずつ弾ける音が増えて、進化していくのが楽しい。未だに成長があるし。今この瞬間、自分より上手い人が量産されていようがね。
こうやってブログを書くのも楽しいですよ。少しずつだけど、頭のなかのイメージを言語化して、相手に伝えるスキルが上がっていく。ミリ単位の成長でも嬉しい。もちろん僕よりうまい人は、大量生産されてますけど。
だから、下手に周りを見ずに、気にせずに、やってみたらいいと思います。
ときに、SUPER BEAVERの『らしさ。』という曲があります。アニメ『ばらかもん』のOPですね。
僕はこの曲がとても好きで、「子ども心」の大切さについて考えさせられますね。
ただちょっと、別の解釈を入れてみようと思います。
歌詞の中では、「自分らしさは、始めから探すようなものではない」と歌ってます。
これは、「変わらない大切なものは昔から自分の中にある」「だからそこに気づいてよ」というメッセージだと思います。品もなくありていに言えば、もともと自分のなかに魅力も武器もある。
でも僕は、その価値に気づくには、結局、一度は探し回る必要がある気がします。
「①もがいて探して、②探しに探した結果、③やっぱり探す必要がなかったよね」
ここまでで1セットだと思います。その、①②でもがいて探す経験をしないと、「やっぱり探す必要がなかったよね」の価値に気付けないと思うんですよ。
例えるなら、地方に住んでて、上京して、やっぱり地元いいよな。みたいな。これは上京しないと良さは分からない。
探す必要がない理由は、そのままで素晴らしいからです。それは真理です。地元は今も昔も素晴らしい。でも、ありのままの素晴らしさは、一度は冒険に出てみないと、本当の意味では理解できないんじゃないかなって。
だから、自分らしさもいいんだけど、一度は冒険に出てみて、やりたいことに挑戦してみて、どこかのタイミングで「やっぱり探すものじゃないな」と腑に落ちればいいとおもいます。
それまでは、できる限り続けるというのが、熱のある生き方だと思います。
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