こんにちは、海星です。
今日は、「どんどん人と比べるべし」という話をします。
最近の世の中の風潮って、
「人と比べなくていい。あなたは、あなたのままでいい」
という言葉が多いですよね。
「自分は間違ってない、今のままで良いんだ」と思える。
こういった言葉に励まされることは何度もあります。
ただし、僕はこの言葉を部分否定します。
僕は、基本的には「人と比べてなんぼ」だと思うんですよね。
なぜなら、人と比べないと、落ち込むことも、上を目指す気も起きないからです。
高い目標があるときは、人と比べることの刺激が良いスパイスになります。
先日、オランダに住んでいる友人と通話しました。彼は高校を出てすぐに東南アジアの語学学校で英語を習得して、今はオランダでミュージシャンをしています。
彼のことはまた別の機会に話しますが、その彼が、高校のときのある同級生の話をしてくれました。
「Aさんっていたじゃん?いま彼女、パリで仕事してるらしいよ」と。
それを聞いて、「え、まじなの?」となりました。
そのAさんというのは、高校の同級生で、僕がよく喋っていた気の合う友達です。当時は、自分と近しい存在に思っていました。
それが、今は海外で専門知識を活かして働いている。考えられない飛躍ぶりに、ビビりました。
高校の時に、外国語を喋れたわけじゃないと思います。
で、その話を聞いた翌日にこの記事を書いているのですが、考えれば考えるほどハンパなくねえか?という気持ちが込み上がってきて、いま勢いにまかせて記事を書いています。
なぜすごいと感じるのかというと、自分がパリに行くなんて想像もできないからです。自分は英語も何度も挫折しているし(短期留学行っても日本人とつるんで終了w)。
海外に住む度胸も、体力も胆力もない。
うわー、度胸あるなあ….と、ほんと、時間差でやられましたね。射抜かれた。じわじわと尊敬の念がこみ上げてきました。
ちなみにその人は、女性です。「”女性なのに”すごい」とか言うと今の時代はよくないでしょうね。でも海外って女性ならではの大変さもあるでしょうし、勇気あるなと思います。
で、そう感じたときに、「自分も負けてらんねー!」と思ったんですよ。真っ向から、自分と相手を比べたわけです。
彼女はいま海外で自分のやりたいことをやっています。おそらくファッション関係の仕事でしょう。じゃあ自分はなんなんだ? 平和にのほほんとしてないか? ざけんな!と自分にブチ切れましたw
最近の自分は実に生ぬるくて、「今は攻めじゃなくて守りの時期だから」とか言って、アニメ見て、温泉行って、ろくに作業もせず時間を浪費しまくってました。だから、彼女の活躍を聞いて、やばいなと焦ると同時に、目を醒ますことができた。
ほんとうに感謝。
これが、人と比べるメリットだと思うんですよ。
人と比べなくて良いって言う思想は、
人と比べるのが悪いんじゃなくて、人との比べ方が悪いんですよね。落ち込んで、沈んだままじゃだめなんです。
「沈んだままだろ君は!起き上がらなくきゃ!なぜなら君は、太陽だから!(松岡修造)」
ってならないとアカンです。なんとなく本家の動画も貼っておきますw
さて、閑話休題。
僕は、高い山に登ってるなら、なおさら人と比べてなんぼだと思います。
実際に、登山するところを思い浮かべてみてください。
まずは、一人で低い山に登っているイメージをしてみましょう。ハイキングみたいな軽いノリで登れる山ですね。
コンクリで整備されたゆるい坂道です。自然の中で身体を動かせて気持ちいいな〜、緑もきれいで空気も美味しい。木陰が光って、涼しい風が通る。登るたびに視界がひらけてきて、景色も最高だ。最後ちょっとキツイ斜面もあったけど、sぐに山頂についてしまった。無事にゴールです。あー楽しかった。
こういう山に登っているときは、人と比べる必要はありません。別に苦労してないからです。
今度は、もっと高い山に登っているイメージをしましょう。今の50倍くらいの山です。山頂に行くまでに、1ヶ月はかかります。今回も一人で登ります。
最初は足取りは軽いでしょう。でも、徐々にしんどくなってきます。急な斜面もたくさんあって、足も痛くなってきた。筋肉痛になりそう。
ゴツゴツした岩場を手を使いながら登る。崖もあって、転んで滑落したらひとたまりもない。岩場を登りきったら、ようやくなだらかな坂道に出た。しかし、少し歩いていると、後ろの茂みから今度はクマが2頭出てくる。なんとか走ってやり過ごす。逃げ切れたところで岩に腰をかけると、今度は毒蛇が出て危うくかまれそうになる。おちおち休めない。
段々と、精神がすり減ってきますね。
何度もキャンプし、やっとの思いで、山の高さの4/10くらいの地点くらいまできた。そして思います。孤独でいるなか、なんのためにやってるんだろう。こんな危険な思いをして、クタクタにつかれて。やめてしまいたい。
そんなことを思って登っているときに、ふとある人のことを思い出します。
じつは、友達も隣の山を登っている最中なのです。ほぼ同じ高さ、同じ険しさの山。何なら、隣の山のほうが天候が悪くて、雷も落ちています。その友人は、もう山の7/10くらいまで到達しています。
その友達は、同級生の女子で、自分と同じ地点からスタートして、自分と同じような苦難を経験して、でも今も諦めずに必死にもがいて登っています。
そういうのを知ってしまうと、ショックを受ける。え、相手のほうが自分より上じゃん…。辛い…。感情的につらくなってしまう。
でも、しばらくすると、冷静に物事を見られるようになってくる。
すると、「なにをへこたれてるんじゃ、俺は。」と思えてくる。向こうはもっと急斜面で悪天候のなか登ってるんだぞ。別に、相手と全く同じパフォーマンスを出す必要はないから、ひたすら登ればいいじゃん。
じんわりと、時間差で、やらなあかん。となる。
ここでもし相手と比べなかったら、諦めたくはないけど、下山する可能性が飛躍的に上がります。
自分と同じように頑張っている人を見れば、時間がかかってもいいし、相手よりペースは遅くてもいいから、登りきりたい。
そう思うはず。
てな感じで、登山に例えてみました。
極限の辛いときこそ、周りの頑張りは、良くも悪くも自分に刺さるんですよね。深く刺さって、落ち込んで、沈むこともあるんだけど、時間差でやっぱりやらなきゃって思えるんですよ。それが比べることの力だと思うんですね。
「人と比べなくていい。あなたは、あなたのままでいい」
これが効果を発揮するのは、何かをやりきったときか、本当に疲れているときです。
そういうときに人の活躍を聞いてもネガティブになるだけです。いくらでも休んだらいいと思います。
ただ僕にとって「人と比べなくていい」という言葉は、前向きに否定できるようになりたい。
「いやいや、自分はまだやれることあって、もっとやりたいです」と。
人の頑張りを僻むためではなくて、自分のガソリンにするのが正しい比べ方だと思います。人と比べるときに、ガソリンを消費するような比べ方は健全ではないです。
相手と全く同じパフォーマンスを出すというのは、強烈なスパイスになって、激辛すぎて人によっては辛いです。
でも、「相手が同じ状況下でも頑張ってることを知る」というのは、自分を奮い立たせる良いスパイスになると思います。
だから、人と比べる行為自体は必要だし、それに励まされるのは、自分が頂上にたどり着くために必須だと思います。
僕は今回、ひたすらガソリンが補充できる話が聞けたので、ガソリン空っぽになるまで燃やし続けたいと思います。目標に到達するまで、とにかくコンテンツを作って面白いことを書いてきます。
誰でもいいから、自分が尊敬する人を見つけて、どんどん比べようぜって思う。もちろんその人と同じ成果、スピードである必要はない。
隣の山では、自分と同じような状況で頑張ってるということを知ってれば、まだまだ登れる。
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